2017/11/26

2017.11.17〜19 ヨーガスートラ∞タントラリトリート




3年前からいろんな景色を一緒に見ながら歩いてきた仲間。
今回のリトリートは、そんなみほちゃんの美味しいおにぎりから始まりました。
ひとつひとつが本当に有り難かった、幸せな数日間でした*






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◯ この1年のこと 




これは1年前のヨーガスートラ∞タントラリトリートのあとに書いたもの。

大切なものを感じているのにまっすぐに触れられない、一歩踏み出せない感覚を、たくさん感じたリトリートだった。
「大切なものを大切にできるように、怖がらずに歩みたい」
と、強く思った。
そうしたらこの一年、恐れを改めてしっかりと見つめる機会が何度となくやってきた。

最近になって、さまざまな恐れの根っこの、ずっと握りしめていた前提みたいなものを見つけることができた。
それは自分の中に確かに存在してずっと影響を与え続けてきた「まぼろし」。






そのことがあってから間もなく迎えた今回のリトリート。
これまでのどんな私も受け止めてくれた先生たち、照らし合える大切な仲間、あたたかく包み込んでくれる場所。
愛しい愛しいそこに帰ってきたとき、あぁもう本当にお別れするものとはちゃんとして、大切なことにもっとまっすぐ命を注ごう、と思えた。

そんな想いで過ごしたこの数日間、1年前よりずっと安心していて、歩みやすくなっている自分がいるのを感じた。
久しぶりに、これからのことが楽しみだなぁと思えて嬉しかった。

こうやって、愛したいと思うひとつひとつひとりひとりの存在が、私を真ん中へと、同時に広い世界へと導いてくれている。
改めて、全部のことに心からありがとうという気持ちでいっぱいになった。






◯ 命の話を聴くこと ◯




ノアという場所での学びは、自然と暮らしとともにある。
豊かな自然と丁寧な暮らしの中で学んでいると、生きることと教えがお互いに照らし合って、私の中に深く深く根付いていくように感じる。
日々のあらゆることの中に光を見出せるように導いてもらっているなぁと思う。










よく耳を澄ましてみると、
人も、人が生み出すものも、風も、落ち葉も、暖炉も、ごはんも、掃除も、どんなことも、それぞれの持つ智慧を話してくれるようになる。

すべての表現の真ん中に愛があること
ただ巡っているのだという感覚
変わっても変わらないもの
空気が入るスペースの大切さ
真ん中の火を保つのに必要なこと
目に見えるものと見えないもの
一部と全体について
闇と光について






耳を澄ませば澄ますほど、目を開けば開くほど、どの存在もその姿をもっていろんなことを教えてくれる。
そんな、ひとつひとつの命がしてくれる話をまっすぐに聴きたいし、一瞬一瞬の風景に本当のことを見たい。
どんな表れ方をしていても、いつでもその真ん中の音に耳を傾けられる、変わらないものを見出せる自分でいたいなぁと思う。

そのために、うっかり誤解しやすい私は昔から繋がれた教えに触れ続けたいし、自然に触れていたいし、大切に暮らしたい。






◯ 母と子のこと





去年の9月のリトリートの時かなえちゃんのお腹の中にいた子は、太一という立派な名前をもらって、可愛くておっきな赤ちゃんになっていた。
たいちゃんは気持ちいいほど自由で、それでいて何かと連動しているようでもあった。







私たちもみんなここから始まったし、体は大きくなったけれど同じなんだなと思ったら、重力とか時間とか当たり前にあると思っているものから解き放たれたような気がして、軽やかで楽しい気持ちになった。
たいちゃんは、スートラやタントラそれぞれの学びの中のなんとも言葉では難しいところを、その存在で何度となく示してくれていた。

お母さんとしてのかなえちゃんの姿も美しかった。
その姿を通して、小さい私を抱っこする自分のお母さんを想った。
ちいさな一歩いっぽを喜んでくれただろうし、たくさん葛藤もしながら育んでくれたのだろうって、今までにないほど胸の真ん中で感じられた。

かなえちゃんとたいちゃんがまたちゃんと一緒にノアに帰ってきてくれたことは、私にとってもすごく大切なことだったと思う。






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私たちひとりひとり。
目の前のひとつひとつ。
そのすべてが、同じもの、変わらないものを知らせてくれるということ。
いつもそのことを、体と心で学ばせてくれる、思い出させてくれる、ノアという大きなおうち。

四季。
教え。
なお先生、こまよ先生。
みんな。

大好きです!
今回も本当に本当にありがとう♡